古墳は誰のもの?

みなさま、ごきげんよろしゅうございます。
お天気ニュースと歴史文化ニュースから、
一文字違いでこんな話題が!
大変です。今年の杉には大量にかふんがくっついていて、半端ない飛散量だそうです。
大変です。こふんにようやく専門研究者の調査が入ることになりました。
駄洒落ですみません・・・。
奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳と同県天理市の西殿塚(にしとのづか)古墳で20日、
歴史系15学会の研究者らが初めて立ち入り調査する。
陵墓(天皇・皇族の墓)として管理する宮内庁が許可した。
箸墓古墳は「邪馬台国論争」にかかわる古墳として一般の関心も高く、
陵墓の公開をめぐる議論が活発化しそうだ。
邪馬台国は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する。
倭国(わこく、現在の日本)は多数の国に分かれて争っていたが、
邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)を共通の女王として立てることでまとまった。
卑弥呼は248年ごろに没し、「径百余歩(約150メートル)」という巨大な墓が築かれたという。
邪馬台国が今の奈良県周辺にあったとする「近畿説」の研究者の間では、
箸墓古墳は卑弥呼の墓の有力候補とされている。
一方、邪馬台国は北部九州にあったとみる「九州説」の研究者らは、もっと新しい時代の古墳と主張する。
(朝日新聞デジタル)
「邪馬台国はどこにあったのか?」
学会だけでなく、素人歴史マニアの間でも、長年喧々諤々の論争となっている有名な歴史ミステリーです。
金印・志賀島・魏志倭人伝・・・。などなど、チラチラ見え隠れする手がかりがまた、
謎解きの興趣をそそるわけですが、なんと言っても「女王・卑弥呼」の圧倒的な存在感が、
この古代史最大のミステリーに多くの人を惹きつけてきた最大の理由であろうと思います。
これ、卑弥呼が男王だったら、これほど騒ぎが続いたとは思えないんですよね~。
やはり、「原始、女性は太陽だった」(by平塚らいてう)からでしょうか。
「女王」という言葉は、それだけで魅惑的です。
さて、邪馬台国の住所はともかく。
今回のニュースで気になったのは、箸墓古墳を宮内庁が管理して立ち入り禁止にしていたということ。
寡聞にして存じ上げませんでした。
確かに、盗掘や心ない一般人が荒らしたりする心配もありますので、管理責任者は必要だと思うんですが。
古代史の研究会が何年も「お願いして」、
ようやく調査を許可してもらったという点が、とても引っかかります。
箸墓古墳って随分前から話題になっていたのに、今の今まで「稜墓」(って勝手に決めてる!?)
だから調査はダメってことになっていて、ここにきてようやくお許しが出たらしいです。
この問題、右やら左やら政治色が強いので、あまり偏った意見を言うのがはばかられるのですが。
調査研究の旗印の下、土を掘り返しまくって古墳を破壊してしまうのは問題ありますが、
歴史的調査は、古墳の存在が明らかになった時点で、早急に着手するべきだったと思います。
そのためにも、「天皇家の墓だから」なんてあやふやな精神論は横に置いておいて、
発見されたすべての古墳などの遺構を対象とする、共通の調査発掘ガイドラインを作って、
それに則って調査開始手続きが出来るように、法整備すればいいのではないでしょうか?
古墳が皇族陵かもしれない。
というだけで、すぐさま専門家でもない宮内庁がしゃしゃり出て来て全面封鎖!
なんて、時代錯誤も甚だしい蛮行です。
その為に、研究者が何年も待たされていたなんて、本当に時間の無駄。
それにしても、誰の墓かもわからないのに(その為に調査が必要なのでは?)、
勝手に皇族関連の古墳ってことにして、勝手に調査制限していたなんて・・・。
文科省ならいざ知らず、宮内庁になんでそんな権限があるのか?
個人的にとっっても疑問の残るニュースでした。
古いお墓は、まずは地域の人々の祭祀の対象であり、
次に、すべての日本国民の歴史的文化的遺産だと思います。
大体ここって、地理的に奈良県か桜井市の管理下なんじゃないのかなぁ?
奈良から京都→東京ってとっくの昔に遷都しておいて、古墳の権利だけは主張するなんて、何様!?
古代史研究学会の皆さんも、もっと声出していきましょうよ!
文責/篠井 棗
コメントを残す